2023年10月7日以降、イスラエルとパレスチナでは、何千人もの罪のない市民の命がすでに奪われています。
イスラエルとパレスチナには3つのYMCAがあり、以前から紛争下にあるこの地域の平和を願い活動をしてきましたが、今回の武力衝突でYMCAの関係者にも犠牲が出ています。
世界YMCAの呼びかけで、10月19日に緊急オンライン会議が行われました。
パレスチナで活動しているガザYMCA、東エルサレムYMCA、エルサレム・インターナショナルYMCAからは、現地の状況の報告があり、特に東エルサレムYMCAからは緊急支援の呼びかけがありました。
緊急協力要請「パレスチナ支援募金」(11月末 締切)
オンライン募金サイト
https://congrant.com/project/ymca/9176
▼使 途
パレスチナ自治区内で行われているYMCAの活動への支援
▼期 間
2023年11月末まで
※このご寄附は、今年の寄附控除の対象となります。
▼内 容
日本のYMCAではパレスチナからの呼びかけに対し、緊急支援募金を行います。
パレスチナの地に1日も早い平和が訪れることを祈り、ご支援ください。
「私たちには戦争を止める力はない。しかし平和を祈ることはできます。私たちのために、そしてすべての国のために祈ってください。暴力では何も解決せず、むしろエスカレートさせるばかりで、和解を困難にしていきます。交渉のステージに戻ることが唯一の解決策です。」
と現地YMCAの代表は語っています。
▼方 法
額の多少は問いません。みなさんの善意をお寄せください。
郵便振込または、事務所に直接持参いただく方法でご協力ください。
コングラントの寄付サイトから、クレジットカードでのご寄附も可能です。
◎郵便口座 01350-1-91014 加入者名 公財)YMCAせとうち パレスチナ支援募金
連続映画上映会
11月5日、極右政党「ユダヤの力」(党首イタマル・ベン-グヴィル)のエリヤフ文化遺産相が「ガザへの核攻撃は選択肢の一つ」「ガザに(ハマスと)無関係の民間人など存在しない」「彼らはアイルランドや砂漠に行けばいい。
パレスチナやハマスの旗を振っている者は地球上で生き続けるべきでない」と語ったと報道されています。
現役の大臣の発言に強い衝撃を受けつつ、ガザへの原爆投下など決して容認できません。
危機感を覚えております。
200万人以上の暮らすガザでは、完全封鎖が続き、水、食料、燃料、医薬品が足りず、病院の機能不全により命を落とす人も出ています。
この人道危機を傍観していたら、次々と命が失われてしまいます。
どうか、共に声を挙げてください。
そのためにもまず、ガザのことを知っていただきたいと思い、映画の会を企画しました。
「ガザ、素顔の日常」 「平和が欲しい。 ただ普通に暮らしたい。」
①11 月 11 日(土) 13 時〜15 時 まびくらハウス
②11 月 16 日(木) 19 時〜21 時 ミュージックバー OMS
③11 月 26 日(日) 13 時〜15 時 日本基督教団 岡山信愛教会 岡山市中区御成町 12-10( 駐車場あります)
対 象:各会場共20名
参加費:無料((会場にて寄附を実施いたします)
ゲスト:ロマンサフチンさん(②のみ・ウクライナからの留学生)
※終了後、平和について語り合います。
東京23区の6割ぐらいの狭い場所にパレスチナ人約200万人が暮らすガザでは人々が貧困にあえいでいる。
イスラエルが壁で囲み封鎖したため物資は不足し移動の自由もなく「天井のない監獄」と呼ばれる。
それでも日常を力強く生きようとする人々がいる──。
10月7日、ハマスによるイスラエルへの断じて許されない無差別攻撃が始まり、その結果、イスラエル軍による大規模な報復攻撃が続いています。
どちら側であっても、非武装の一般市民を犠牲にする行為は許されません。
暴力の連鎖は断ち切らねばなりません。
ガザ地区については、すでに15年以上経済封鎖が続いています。
さらなる封鎖(電気、水道の供給停止等)や攻撃によって、困窮を極めているガザの人々の命が危険に晒されています。
ガザ地区と聞いたら「世界で最も危険な場所」「紛争地」など戦争のイメージを思い浮かべるのではないだろうか?
そんなあなたはこの映画で全く違うガザの一面を発見することだろう。
穏やかで美しい地中海に面しているガザの気候は温暖で、花やイチゴの名産地。
若者たちはサーフィンに興じ、ビーチには老若男女が訪れる。
しかし、現実は過酷だ。陸も海も空も自由が奪われたガザは「天井のない監獄」と呼ばれ、住民の約7割が難民で貧困にあえいでいるのだ。
それでも日常を力強く生きようとする人々がいる。
「欲しいのは平和と普通の生活」。
ガザの人々は普通の暮らしを今日も夢見ている。
以下、プロデューサーより。
「ガザ 素顔の日常」を全国に届けております。
昨日のNHKクローズアップ現代では、本作カメラマンがガザ内部から、危機的な状況をレポートしました。
地元KBCのテレビ番組「アサデス。」では、僕のインタビューや映画を観た人のインタビューも。
さらには、なんと、僕がガザ地区に学生の頃に行く、きっかけを作ってくれた当時ガザの病院で看護師をしていた藤永香織さんを取材に答えていました。
24年前出会った方。
https://unitedpeople.jp/gaza/archives/15760
彼女から1999年1月ガザに招かれ、ガザのことを「できる限り多くの人に日本で伝えてほしい」と託されました。
今、その約束を果たしていますが、とにかく「地上の地獄」となってしまっているガザへの無差別攻撃の停止を求めています。
もうひとつの驚きは、この映画に登場するカルマという女子大生がいますが、そのお姉さんが、11月5日放送 日テレ「真相報道バンキシャ! 」に登場したことです。
彼女は幸い、イタリア人の夫がいたのでイタリアに脱出も、カルマや家族はガザに残され、無事がわかりません。
アマルさんはガザから出なければよかったと罪の意識で涙を…
https://unitedpeople.jp/gaza/archives/15746
どうか、今起きていることに、目を向けてください。
古居みずえ監督作品上映会&オンライントーク
と き:11 月 25 日(土) 13 時〜17 時
ところ:岡山信愛教会 岡山市中区御成町 12-10( 駐車場あります)
参加費:1000 円(支援金とします)
13:00 古居みずえ監督オンライントーク
13:30 ぼくたちは見た(終了後、休憩)
15:00 ガーダ パレスチナの詩
17:00 終了
古居みずえ監督
日本のフォト・ジャーナリスト、映画監督である。
アジアプレス・インターナショナル所属、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会会員
1948年、島根県に生まれる。東京都在住。
37歳の時に関節リウマチで歩行困難になり、1か月後には歩行器なしでは動くことも不可能になったが、投薬により奇跡的に回復した。
その際にフォトジャーナリストの広河隆一による写真展を見たことがきっかけとなり、古居が病気になるまでの前職はOLであったが「一度きりの人生。何かを表現したい」と思い、1988年、フリーのジャーナリストとしてパレスチナへ渡航する。
1993年に難民キャンプ出身のガーダ・アギールと出会って以来、彼女を写真とヴィデオで撮り続け、12年後にドキュメンタリー映画『ガーダ パレスチナの詩』として結実する。
2005年、写真『パレスチナの女たち』でDAYS国際フォトジャーナリズム大賞審査員特別賞を受賞した。
2006年、第6回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(公共奉仕部門)を受賞した。
2011年、イスラエルによるガザ地区空爆の犠牲になった家族を取材した映画『ぼくたちは見た ガザ・サムニ家の子どもたち』が公開される。
福島第一原発事故で計画的避難区域に指定された福島県飯舘村を取材したドキュメンタリー映画『飯舘村の母ちゃんたち』の製作に携わり、脱原発を訴えている。
古居は出身地である島根県に対する社会貢献として「古居みずえ故郷の会」を発足させ、旧掛合町(現雲南市)や出雲市のほか、松江市など島根県内における様々な市町村で、映画の上演や講演活動を行っている。
2014年にガザ地区で取材活動を行い、アジアプレスのホームページ上で報道を行った。
古居は2016年3月に福島県の飯舘村において農業を営む女性を対象とした「飯舘村の母ちゃんたち、土とともに」と称するドキュメンタリー映画をリリースした。
銃弾に倒れる子供たち~出口の見えないパレスチナの闘い(古居みずえ)
①「ぼくたちは見た」ガザ・サム二家のこどもたち(86 分)
2009 年、イスラエルのガザ攻撃があったとき、私は生き残った子ど もたちに話を聞きに行きました。
その時は空爆だけでなく、地上攻撃 がありました。
話を聞いた当時 10 歳の女の子は両親を爆撃で殺されていました。
当時 12 歳の男の子はキャンプに入ってきたイスラエル 兵に目の前で父親を殺されました。
そのとき以来、私は何度か彼らのところに通いました。
その男の子は長い間トラウマに苦しみました。
「どうしてぼくたちは他の国の子どものように普通に暮らせないのだろう」と言い、両親を亡くした女の子は「どうしてイスラエルは子ど もたちを殺すのか ? 世界に見捨てられたと感じた」と語ってくれたことを思い出します。
これ以上の犠牲者が出ないことを切に願い、暴力でなく根本の問題が解決されることを願います。
②「ガーダ パレスチナの詩」(106 分)
パレスチナ人女性ガーダ・アギールは、ガザ地区南部の難民キャン プで生まれ育った。
自立心の強いガーダは伝統的な結婚式を拒否しようとし、今までのやり方にこだわる母親や友人、婚約者の母親とぶつ かっていく。
1996 年、ガーダは最初の子、ガイダを出産。その後も、 旧来の習慣にとらわれない新しい生き方を貫いていく。
2000 年、パレスチナではイスラエルの占領に対する抵抗運動 ( イン ティファーダ ) が始まる。
親戚の 13 歳の男の子カラムの死をきっか けに、母親として気持ちを揺り動かされたガーダ。
彼女は、パレスチ ナ人としてのアイデンティティに目覚めていく。
心に蘇ってきたのは、 幼い頃祖母から聞かされた故郷の話や歌だった。
イスラエル軍によっ て家を壊され、テント暮らしを余儀なくされた 100 歳になるハリーマ・ シュビーア。
イスラエルとの国境で農業や放牧を続けるウム・バシー ム。彼女たちによって語られる、故郷を追われた人々の歴史...。
引用元:PR TIMES
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000016.000092795.html